ねむれない夜によせて

最近はずっと夜寝付きが悪い。朝は無限に眠れる。在宅勤務だから、朝の9時45分にいやいや布団から抜け出してシャワーを浴びて、10時の始業に間に合わせることだって出来る。
おとといの、くるまのひとたちの集まりから帰った日は、20時にはすでに布団に倒れこんでいた。寝間着のズボンが見つからなかったのを覚えている。そのまま、23時過ぎまで寝て、すこし起きて、また寝た。3時間半程度しか眠れずに向かった集まりだった。そのまま、朝の9時45分まで、眠りに眠った。それでもまだ眠い。

昔から眠るのは不得手だった。精神科に行っても、心療内科に行っても、総合診療にかかっても、聞かれることは同じだ。「つらいことがありますか?」つらくない人生があるのだろうか?
言葉の限りを尽くしてわからないと伝える。息をしているだけで、生きていくことを許されないここちしかしなかった。けれどもそれが当然であるのなら、これは「つらい」ではないんじゃないかとも思っていた。
いまなら当時の何が辛くて、何が疎ましくて、何が許せなくて、何に許されたかったのかがよくわかる。何度も思った。もしうまれかわれるのなら? ――二度と生まれてきたくない。


思い返しても嬉しいことも、許されることもない人生だった。つらくない人生が、あるのだろうか?

戯れに話を作る。田舎に引っ越して以来、刺激があまりにも足りずに、眠っていた創作意欲が首をもたげる。
可愛らしい大学生の男ふたりのBLだ。賢しい学生と、ドロップアウト寸前の趣味に生きる学生。その賢しい学生のキャラクタを作るときに、こんどこそかわいそうじゃない男の子にしようと思った。
腐女子はすぐかわいそうな過去を作りたがる。なんとなく幸せなひとが救う話を作りたかった。
賢い大学生、となるモデルは夫の周りのひとたちから拝借する。彼の研究、彼のモチベーション、彼のシニカルさ、彼女の熱意。つまみあげた最後に夫に聞いた。
「きみにはトラウマがありますか、それはなんですか?」
その時に何をしていたかは覚えていない。そう長く悩まなかった。なんでもないことのように、事実何でもないから、軽く答えた。
「ないよ」
「ない」
「うん、ない」

生まれてきて一番に驚いたと言っても過言ではない。メンヘラの周りにはメンヘラしか集まらない。つらい過去と、思い出したくもないトラウマ、フラッシュバックする最低な思い出、身悶えするほどの失敗の記憶。それが当然だと思っていた。

夫は寝付きがとても良い。眠れないとぼやいていても、眠れないと思うわたしより圧倒的に早く寝付く。時折意識のない体が揺れる。その度に寝付けないのはわたしだけだと思う。
それが夫のしあわせかどうかは、本人に依るので断言はできないけれども。わたしにとって、見たことのない人種を一番のそばで眺められるのは特等席以外にない。
この人はどんなに嫌なことがあっても、かなしいことがあっても、苛立つことがあっても、きっと安らかにすやすやと眠ることができる。そうして脳の老廃物を流して、記憶をきちんと整理して、理想的な朝を迎えるのだと思うと、銀河ほどの隔たりを感じる。

妻として何を思えばいいのか皆目わからないけれども、それがわたしの作ったキャラクタに直結するのだと思うと、彼はきっとたくさんのひとを救うのだろうなと思う。想像の中で生きる彼に思いを馳せるのは自由だ。それをしあわせと断言するのであれば、間違いなくしあわせなのだから。

想像で飛び立つ創作の彼が言う。
「だっておれ、痛いことも苦しいこともキライだし」
そのとおりだと思う。