人生がままならない

アウトプットをしないことになれてしまって長文が書けなくなってきたのと、新しいキーボードに慣れたいのでつらつらと。

 

前の会社を退職して、今の会社に入社してすこし。

前職は有給消化中にも外注として仕事を請け負っていたので、けっこう大変だったように思う。

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1時まで働くのが割とざらで、寝る時間が少なくて辛かったような記憶がある。

それを年明けくらいまで続けていて、前職から最後に給与の振り込みがあったのが今年の3月だった。つまり今年になってから仕事の発注がなくなった。

職場にいたときからやはり折込チラシという前世紀のツールの使用頻度はどんどん減っていて、当時外注だった人にも満足に仕事が振れなかった。そのくせに突然舞い込んできた仕事は押し付けていたから、「かわいそうだなあ」「迷惑だろうなあ」と思いながら頼んでいたものだった。

いまその立場になってから思ったけれども、一番迷惑なのは収入の安定がはかれないことだなと気づいた。フリーランスだから収入の安定をはかりたい、などというのは確かにおこがましい限りなんだけど、それでも毎月出ていくお金がある限りは入ってくるお金もそれ以上にほしい。

チラシ1件あたり1万5千円の相場は安いらしいけど、それでも両面で3万円、それが月4回入れば副業としてはまあ良い部類にはいると思っていた。しかしそれが週に両面と半分と思ったら次の週もその次の週もなし。と思ったらまた次の週には両面と半分を上げてくれみたいな発注がくるので、頼むから均してくれ……とまじで願ったものだった。

 

そしてわたしの対応がおざなりになったことも感じていたのだろう、ありがたいことに前職の仕事はこなくなったわけだ。当時は発注されるたびにまじで仕事が来ないでくれ、もういらないと切に願ったものだけれど、今は月に2本くらいはうけてもいいのになーと思っている。人間は辛さを忘れるいきものである。

その理由は、単純にフリーとしての仕事があまりに来ないから。同人誌の発注は基本的に同じジャンルの中で受けることが多いため、自然と同じ時期に集まることが多い。つまりこの月は収入はいくらかあったけれども、今月は(も)1件もない、ということがありえる。

しかもそういうのは定時の仕事が閑散期のときに起こる。

まあ言うならば、暇だからどうせならお金にしたいなあと思ったのだ。

 

そんなゆるふわちゃんな気持ちで仕事がくるわけでもなく。

営業活動をもっとしたほうがいいと思って某求人サイトで業務委託で探したものに応募したのだけれど、端的に言うと「デザイン辞めなよ」と言われただけだった。

曰く、印刷物でどうこうする時代は終わった。曰く、印刷が盛んだった時期のデザイナーたちが溢れていると。彼らはもちろんずっとやってきたのでベテランである。そして生活するだけの仕事は得ていると。それでも空いた時間があるから、格安案件を引き受けるらしいのだ。そうなってくると、デザイン力が劣っていて、かつ金額はまっとうにほしいと思っている我々のような世代に仕事を回すことはできない。

まっとうである。

金額勝負をしかけられたら当然のように、ノウハウや経験が足りてない分だけ負けるに決まっている。

デザインというものは、発想力も大切だけれども、結局の所経験値がものを言うのだと思う。ベストアンサーへたどり着くまでどれだけ時間をかけずにすむか、というものだ。

絵を描いたりする人たちは、いつも0から、白紙から描いているわけで、それがクリスタの機能をつかったとしても、自分の良さを出すためにかならずやらなければいけない工程が多いように思う。

いっぽう、ベクターで作るデザインというものは、ある程度まで使いまわしができるように思う。イラストまで時間をかけなくて良いように思うのだ。慣れたものを作るのに時間がかからなくなる、というのは似ているように思うけれども、書き込めば書き込むほどよくなる絵と違って、デザインは作り込めば作り込むほどよいと言うものでもないように感じている。すくなくとも、じぶんがやっているようなチラシの域ではいかに時間をかけずにものを作るか、ということばかりやっている。

ある程度の決まりがあって、それさえ守ればルーティンワークのような、決まった動作で作るほうが安心感があってよいことさえあるように思う。

自分はそれにまだまだ達していないという自覚がありつつも、数をこなさないとうまくならないから仕方がないじゃないか、という開き直りすらもある。

とりあえずゆるふわちゃんな気持ちでもいいから、仕事がほしい。忙しい時期があったことを考えると、金すら生み出さない暇は恐怖でもある。

 

昨年書いた記事を読んでいると、1年経って「こうじゃないな」と思うことがあって非常に面白い。しかし1年でたった4記事しか書いていないというのも雑魚っぽい話だなと思ったから、もう少し頻繁に書けるようにしたいと思う。

わたしは幾度も自分の文章を読み返す。そうすることによって、自分の考えを改めて見つめ直すことができるし、間違っていることに気づくこともできる。むかしは誰に晒すのも怖くない自己との見つめ合いを書いていたものだけれども、年をとってくると「人にどう思われているか」を気にするようになってしまって、面白い文章を書かなければ、読み応えのある文章を書かなければ、と考えている。

20年近く文章を書いているにも関わらず、いつも自分は面白い文章が書けないなと思っているので、いい加減諦めたい。

 

こういった散文を書いていると、段々と言葉がむかしっぽい書き方になってくるのも、ちょっとおもしろい。今日は現代人の気持ちなので、ふわっとした書き方をしたのだけれど、もう少し頭の中が冴えてくると言い切りや断定のかたちで書けるようになるので、せめてそこまではアウトプットを戻したいなと思うばかりである。